Geban:Atsushi~vowiki

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僕は、これまでの社会を築いたこの歴史というのは素晴らしいと思う。

僕らは、規定の見方にとらわれてるけど、実際のものをありのまま見ることで、すべての見方、認識は変えられる。僕はそう思う。

社会は、人と環境でなりたっている。環境は法律と自分による構築、そして部外者、地域などである。

道具は、人のためにあり、だが、しかし、人は道具の使い方にも支配されている。ツールとしての道具として、とくに言語、数学(僕はこれも言語だと思う)など、そしてコンピュータにおいてはユーザーインターフェース、OS、などがある。すべては道具と、それによる目的に分かれる。道具と目的によってすべてが創造されている。

農業もガーデニングも道具の利用である。木工や鉄作業は明らかに道具である。そして情報も目的と道具である。プログラミングは考え方をそのまま書き記した、目的でありながらの道具である。ダウンロード可能なフリーソフトは明らかにそうだ。よって、このコンピュータにおいて、道具と目的は紙一重である。そして、絵画などに見られる、創造を目的とした道具は、認識を伝えるための道具として創作(表現)を道具(目的)として認識できる。それは、科学についても言える。目的が道具化しているのは数学や語学もである。そして、文学や政治、教育、歴史についても同じことが言えるのではないか。つまり、目的と道具とは方法に過ぎない。その物質的あるいはデジタル的な考え方に基づく具体化が道具としての方法である。よって、考え方はつまり方法である。

コンピュータにおいては、方法も目的も道具も考え方も同じ。楽器もそうだ。

結局、僕は道具の歴史を探求していただけだ。

そして、デジタルな道具の利点は、インターネットを通じて遠隔地との人とやりとりできることだ。そして、道具を支配されないため、オープンソース(フリーソフトウェア)が必要である。

そして、掲示板は全てが感じだけである。掲示板やWebサービスも道具だ。

情報とは自分の力を増やす道具だ。そして、それによって操作される危険がある。情報はさまざまなところで飛び交う。みな、その情報を頼りに動いている。認識も情報として考えられる。しかし現実は違う。そのことを分かりやすく伝えるためには、掲示板やWikiなどでの情報共有や、国籍を違えた外国人との交流も必要である。地域も、家も、その情報の異なる部分としてとらえることができる。プロバガンダもそうだ。経済とは、考え方という情報を違えた場の違い、そして社会的な目線の違いである。そして、風上に立てば立つほどそのことも明らかになる。統計はそうしたものとして活用されている。CMもそうだ。もっとも風上とはモデル化をどこまで可能にできるか、そして、実際の情報(つまり作り出されたもの(フィクション)から一番はなれた、インターネットのように即座に生身の現実の分かる情報手段(インターネットはフィクションであふれているけれど))をどれだけそのモデル化と組み合わせて知っているか、そして上の目線(たとえば社会科学や政治)をどれだけ切り替えられるか、その上で情報にとらわれない名前の無いものとしての物質世界(自然科学)をどれだけさまざまな目線と考え方で見ることができるかであり、最終的には記憶と意識、つまり記憶の意識と意識の記憶に分かれる。

そして、そのために言語を改良すべきだ。そう思う。

具体的な例と感覚、感じと文の分かりやすさをどこまでできるかがわかりやすく伝えるということであり、そのためには他の人の目線を考慮しなければならない。ここで僕はそれをできなかった。

否定の否定を否定すれば自然と幸せを得られる。

つまり、よく考えてそれぞれの別のものを否定、肯定すれば良い。

つまり、すべてを同じにして否定の否定を肯定のように書いたこの文章は最悪だ。

全員に税を分配し、自由に利用させ、組織化を自由にして、ひとつの政府をひとつだけ、小さく作れば良い。だが、みんな自分のために使う。だからこの提案も意味はない。民主化すればするほど自分勝手になる。そして、帝国化すればするほど何も考えなくなる。民主主義とは何も考えない人間による自分勝手な分離政治である。

ファシズムはその逆である。つまり、考える人間による人のための政治だ。アメリカが矛盾しているのは民主主義と人民による政治をいっぺんにやろうとしたからだ。

解決するためには、全員を政治参加させる以外にない。つまり共産党を発展させ、自らの労働時間の一部を政治にまわし、全員が議論するしかない。よって、共産主義になる。

だが、そこでは努力が起きない。よって、すべてに問題があり、何も成功しない。

つまり、市場経済によるグローバリズムの競争社会を推し進めるしか道は無い。

そこでは必然的にナショナリズムになり、全部の国が敵対する。

総合的に見て、すべての会社の部署を統合し、地域間で競争させる、世界政府を実現させることによって、アメリカ的な分権を成し遂げるしかない。

そこでは必然的に共産主義が発生し、ソ連と同じになる。つまり、民衆の意思で崩壊する。

それが今のこの世界であり、アメリカは崩壊し、ロシアはナショナリズムになった。

結局、何も考えずにすきに生きるのが一番だ。だから、EUのように、国は残したまま全ての国を統合し、みんなでいきあたりばったりに分離したり統合したりするのが一番良い。

会社の経営は情報の伝達である。仕事は情報の具体化だ。労働とは指示に従い情報を共有することだ。技術とは考え方だ。ようは、考え方、情報共有、そして習慣が仕事である。

経営の質とはたくさんの情報を共有し考え方をとりいれることで、労働も同じ。だから会社は大きい方が良い。

だが、情報共有のスピード、考え方の新しさは小さな企業の方が勝る。

よって、Googleのように、大きくその上で速く新しい企業が理想的なのである。